| 幸せの定義 「ねぇ、骸さん。幸せとは何ですか?」 突拍子も無い質問を投げかける。 「幸福。幸運。運が良いこと――」 「辞書的な意味を聞いてるんじゃありません!」 何も見ずにすらすらとどこかの辞書の意味説明を並べる骸に、は頬を膨らませた。 それは無邪気な子供が大人を困らせるようなものだった。 質問を投げかけた本人は、外見は十代後半でもここ数ヶ月の記憶しか持たない記憶喪失者だ。子供らしいと言えば、まさにそうだろう。 「アバウトな質問ですからねぇ……」 いつも通りの感情を窺わせない笑みを浮かべて、骸は少し考えた。 答えを考えるというより、答え方を考えている状態だった。 「ではアバウトに回答しましょうか。それは誰もが求めてやまないものですよ」 客観的な意見だった。 アバウトにアバウトで返すあたり、真面目に返答する気が無いのかもしれないが。 「あなたは幸せとはどういうものだと思いますか?」 質問返し。 それが自分ではよくわからないから質問したと言うのに。 しかしは律儀に答えを探した。 「うーん……いいことがあったら幸せですよね。このあいだ、子供が親に何かを買ってもらって、凄く嬉しそうにしているのを見ました。あれは幸せですよね」 数日前のことを思い出しながら一生懸命に話すを見て、骸は親が子供を見るように目を細めて微笑んだ。 「。あなたは今、欲しいものがありますか?」 「欲しいものですか?」 「物品にこだわらなくてもかまいません。地位や名声……形のあるものでなくとも、人が欲しがるものは多い」 「………」 しばらく考える。 今自分が欲しいものとはなんだろうか。 そんなことを考える余裕などなかった。 気がつけば自分は宙ぶらりんで、拠り所は自分に居場所を与えてくれた骸のみ。 「あ……記憶……」 自分の足場がおぼつかない理由に気づいて、はその単語を口にする。 「私、自分の記憶が欲しいです。いや、欲しいんじゃなくて……必要って言うか……」 「それが手に入ったとして、あなたは幸せになれるでしょうかね?」 「………」 言われて心底困り果ててしまう。 無いから不安な記憶。幸せになるために欲しいというより、不安を拭いたいがために欲しいというのが正直な気持ちだ。 「人間というのは、都合の悪いことはある程度忘れるように出来ています。あなたが記憶を失ったのは、何かとても嫌なことを忘れようとした結果かもしれませんよ。それでも、あなたは記憶が欲しいと思いますか?」 「……わかりません。でも、辛いことも嬉しいことも、全部忘れたままなのは嫌なんです。ここまで私を成長させていた時間を、ぽっかり穴が開いたみたいに失っているのは……」 「そうですね、なんだか勿体無い感じがしますね」 言いたいことはわかりますよ、と骸は頷く。 「欲しいものが手に入ることが、幸せと直結するわけではないということを言いたかっただけなのですが」 少しだけ首を傾げて、言葉を選ぶ。 「例えばこんな話があります。金持ちの天涯孤独と、大家族の貧乏。どっちが幸せでしょう?」 その質問の答えには迷わなかった。 「それはその人次第ですよ。お金があれば家族が要らないっていう人もいるだろうし、愛に飢えていればお金があっても孤独には耐えられないでしょう。家族が居ればお金がなくてもいいと言う人だっているし、貧乏は家族のせいだと恨む人だって居るでしょうね。それはその人それぞれで、一概に決め付けられないことだと思います」 の言葉に、骸は微笑を浮かべたまま頷いた。 「ええ、その通りですよ。幸せとはそういうものです。簡単な例は挙げられるのに、明確な答えが無いのですよ」 「それが、骸さんの答えですか」 「ええ。期待には応えられませんでしたか?」 それすらもわからない。 骸の話は、には少し難しかった。 「ところで、突然どうしたんです? そんな質問をして」 「何が骸さんの幸せなのかなぁって思ったんです」 の言葉に、骸は僅かな驚きを表情に表した。 彼が微笑み以外の感情を表情に表す事は珍しい。 しかしは骸のほうを見ていなかったので、そのことには気づかなかった。 「僕の幸せ……ですか」 呟いて、骸は微笑んだ 「僕は僕なりに幸せを手にしていますよ。少なくとも、後悔するような行いはしていないつもりです」 「それが幸せなのですか?」 「後悔しないということは難しいことですよ。人間にとってはね。僕は今、犬と柿ピーが居て、あなたが居て、やりたいことをやっている。その行いや結果が楽しければ、それで満足ですから」 「………そうですね」 はふっきれたように微笑んで骸を見た。 「私も、犬ちゃんと柿ピーが居て、骸さんが楽しそうに笑っていたら幸せです」 「クフフ。では、もっと楽しいことをしに行きましょうか。いい遊び相手を見つけたのですよ」 そう言って骸はに手を差し伸べた。 は迷わずに笑顔でその手を取る。 幸せとは何ですか? 答えは意外と近くに。 |